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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)8356号 判決

原告 トーホーエレクトリツク株式会社

被告 大松物産株式会社

主文

〈1〉  被告は原告に対し、金一〇〇万円およびこれに対する昭和四四年八月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

〈2〉  訴訟費用は被告の負担とする。

〈3〉  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一、原告

請求の趣旨

主文第一、二項と同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二、被告

請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

一、請求原因

1  原告は訴外帝国電波株式会社に対し、売掛代金債権金一〇〇万円を有していたところ、被告は昭和四四年六月二四日原告を債務者、右訴外株式会社を第三債務者とする債権差押及び転付命令(東京地方裁判所昭和四四年(ル)同第二、七九八号、同(ヲ)第二、八八七号)を受け、そのころ右命令は原告ならびに訴外会社に送達され、その結果原告は同訴外株式会社に対し有していた同債権金一〇〇万円を失つた。

2  ところで右債権差押及び転付命令の債務名義は、被告の原告に対する昭和四四年四月三〇日付貸付元金一〇〇万円に関する東京法務局所属公証人緑川享作成昭和四四年第八二三号公正証書の執行力ある正本であるが、原告は被告に対し同年四月三〇日に金一〇〇万円の貸金債務を負担したことも、強制執行を承諾したこともなく、右公正証書は、被告に対し、本件とは別の趣旨で交付した白紙委任状、原告の資格証明書、原告代表者の印鑑証明書を被告が無断流用し同公証人に対し不実の記載をなさしめて作成された無効のものである。

3  よつて原告は被告に対し、債権侵害による損害金一〇〇万円およびこれに対する被告の不法行為後である昭和四四年八月二六日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する認否

1  第1項認める。

2  第2項中、債権差押及び転付命令の債務名義が原告主張の公正証書であることは認める。その余は否認する。

3  第3項争う。

三、抗弁

原告は、昭和四四年四月七日訴外鮎川信夫を代理人として被告との間に、被告の所持する金額一〇〇万円、満期日同年五月三一日、振出人訴外東邦興業株式会社なる約束手形一通につき満期にその支払なきときは、原告において右会社と連帯して右約束手形金同額の支払債務を負担する旨および被告の所持する原告振出金額六〇万円、振出目昭和四四年四月八日なる小切手一通につき、その支払なきときは、原告と右訴外会社とが連帯して右小切手金と同額の支払債務を負担する旨の契約を締結し、同時に被告に対し、右契約による債務の弁済につき執行受諾文言を含む公正証書作成に関する委任状、原告の資格証明書および原告代表者の印鑑証明書を各交付した。被告は右各書類を用いて、右委任の範囲内において公証人緑川享に公正証書作成を依頼したものである。なお公正証書中の昭和四四年三月三〇日付私署証書による借受金というのは、昭和四四年四月七日付連帯借用証書による借受金のことである。

四、抗弁に対する認否

原告が昭和四四年四月七日被告に対し、原告主張の各書類を交付したこと、本件公正証書に記載されている昭和四四年四月三〇日付私署証書なる書面が存在しないことは認めるが、その余は否認する。原告が被告に交付した右各書類は、原告が別途被告に対し振出交付した額面六〇万円の小切手の支払を担保するために交付したもので、被告がこれを原告に無断で他に流用したものである。

第三証拠 〈省略〉

理由

一  被告が東京法務局所属公証人緑川享作成昭和四四年第八二三号公正証書の執行力ある正本にもとづき、原告を債務者、訴外帝国電波株式会社を第三債務者とし、原告の訴外会社に対する売掛代金債権金一〇〇万円について、債権差押ならびに転付命令を申請し、昭和四四年六月二四日東京地方裁判所昭和四四年(ル)第二七九八号、同(ヲ)第二八八七号債権差押ならびに転付命令を得たこと、右命令がそのころ訴外会社および原告に送達され、よつて原告は訴外会社に対する売掛代金債権金一〇〇万円を喪失したことはいずれも当事者間に争がない。

二  成立に争ない甲第三号証によると被告のなした右強制執行の債務名義であつた公正証書にはその第一条に「昭和四四年四月三〇日債務者トーホー・エレクトリツク株式会社(原告)は債権者大松物産株式会社(被告)に対し同日付私署証書による借受金一〇〇万円也の支払義務を負担していることを承認し、これを左記に従い弁済することを約し、債権者はこれを承諾した。……(以下略)……」なる記載のあることが認められる。

三  右公正証書の文言中の昭和四四年四月三〇日付私署証書なる書面の存在しないことは当事者間に争がなく、原告は右は昭和四四年四月七日付連帯借用証書(乙第五号証、原告が同日被告から金一六〇万円を借受け、これを同年同月三〇日までに被告方に持参支払うことを約した旨の記載および原告代表者の記名押印のあるもの)を意味するものであると主張するので以下に検討する。

四  公証人法第四〇条は「公証人ノ作成スル証書ニ他ノ書面ヲ引用シ且之ヲ其ノ証書ニ添付スルトキハ公証人其ノ証書ト添付書面トノ綴目ニ契印ヲ為スコトヲ要ス」と定めており右規定は公正証書に他の書面を引用することを許すとともに、他の書面を引用した場合は必ずこれを公正証書に添付することを命じた趣旨であると解される。けだし、同法は公正証書の記載事項、作成方法、作成手続等について詳細に規定し、もつて公正証書の内容たる法律関係につきできるかぎり疑義を生ぜしめないように意図しているからである。しかるに前出甲第三号証によれば、本件公正証書は前記四月三〇日付私署証書を引用しながら、これを公正証書に添付せず、かつまた右私署証書が如何なる内容を有するかを本文において明かにするところもない(日付と金額のみは明かであるが、右金額が全体であるか一部であるかは不明である。)ことが認められる。従つて本件公正証書は公証人法第四〇条に反し違法なものであるということができる。

五  しかしながら私署証書を引用しながら、これを添付しない違法が、つねに公正証書を全体として無効たらしめると断定できないことはもちろんであり、その私署証書を引用した部分が、当該公正証書の可分的かつ非重要部分である場合には右の違法が公正証書の全体を無効ならしめるとは考えられない(たとえば金銭消費貸借契約において、利息あるいは遅延損害金のみに関して私署証書を引用し、これを添付しない場合には、利息あるいは遅延損害金についての約定は無効であつても元本についての約定は無効とする理由はない。)が、重要かつ全体に影響のある部分である場合には公正証書は右の違法により全体として無効とされるというべきであろう。

六  そこでこれを本件の公正証書について考えてみるのに、前出第一条の規定は原告が被告に対し前記私署証書によつて負担している金銭消費貸借債務金一〇〇万円を所定の弁済期、利息等に従つて弁済することを約するというのであるから、この規定によつて、原告の履行すべき義務の内容自体は明らかであり、強制執行にも適するようであるけれども、右私署証書が特定できなければ、債務者である原告にとつては既存の債務との関係で二重払の危険があるか、あるいは存在しなかつた債務について履行を強制される危険があることとなるから、その意味において、右私署証書引用部分は本件公正証書のもつとも重要な部分であり、右私署証書を公正証書に添付しない違法は本件公正証書を全体として無効ならしめるものといわなければならない。

七  一歩を譲つて、本件のような場合に私署証書を添付しない違法がただちに公正証書全体の無効を招来しないとしても、引用された私署証書が存在せず、従つてもともと債務者が該私署証書上の債務を負担していないときは、これに関する弁済契約を内容とする公正証書は無効といわざるを得ない。しかして本件の場合引用された昭和四四年四月三〇日付私署証書なるものが存在しないことは当事者間に争ないのであるから、やはり本件公正証書をもつて有効とすることはできない。よつて原告主張のその他の公正証書の無効原因については判断しない。

八  被告は右引用された昭和四四年四月三〇日付私署証書とは同年同月七日付私署証書を意味すると主張するのでこの点につき判断する。公正証書の解釈は、その性質上できるかぎり厳格に文字どおり解釈すべきものであることはいうまでもない。ただし何人の眼にも明かな誤謬があり、これに対する正しい記載が容易に推測しうるような場合には正しい記載があるものとしての処理が許されることはもちろんである。しかしながら、「昭和四四年四月三〇日付私署証書」の記載を「昭和四四年四月七日付私署証書」としたことの誤りが被告にとつてたとい明白な誤謬であるとしても、原告あるいは公証人緑川享さらにその他第三者にとつて明白な誤謬であるとは到底いうことができないから、被告の右主張は採用することができない。

九  証入金田鳳栄の証言によると本件公正証書は被告側において原告代表者名義の白紙委任状を用いて原告代表者の代理人を選任し、右代理人において公証人に対し公正証書の作成を依頼し、右依頼にもとづいて作成されたものであることは明らかであるから、無効な本件公正証書の成立について被告に故意がないとしても少くとも過失があつたことは否定することができない。そうすると被告は少くとも過失によつて無効な公正証書の執行力ある正本にもとづき原告の訴外会社に対する売掛代金一〇〇万円を差押え、かつこれが転付を受け、もつて原告に対し右一〇〇万円に相当する損害を与えたといわざるを得ない。

一〇  被告は原告に対し昭和四四年四月七日付私署証書にもとづき一〇〇万円の債権を有している旨主張しているので、もし右一〇〇万円の債権が存在するとした場合、これと右の損害との関係について検討を要する。

被告は右四月七日付私署証書による債権につき公正証書を得、これによつて強制執行をするつもりで、故意又は過失により前記のとおり無効な公正証書を成立させ、これによる強制執行が架空の債権の満足を得て完了したのであるが、もし右四月七日付私署証書による債権が存在するとしても、この債権は右の強制執行完了によつて些かも影響を受けないといわざるを得ない。すなわち原告の損害は損害、被告の債権は債権で、それぞれに別の問題であつて、互に影響はないというほかはない。

一一  以上の説明で明らかなとおり、原告は被告の本件不法強制執行による損害賠償として被告に対し金一〇〇万円および不法行為の後である昭和四四年八月二六日から支ずみまで民事法定利率による遅延損害金の支払を求める権利があるから、本件請求はすべてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石川義夫)

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